対話による吉田寮問題の解決を求める教員有志の会

「対話による吉田寮問題の解決を求める教員有志」による呼びかけ、関連情報などを掲載するブログです。

賛同者数と賛同者からのメッセージ(8月4日18時まで)

〇これまでの賛同者(9月4日18時まで)

①京都大学の学生(非正規学生や院生を含む)…21名
②京都大学の職員(非正規の方を含む)…1名
③京都大学の教員(助教、講師、准教授、教授)…23名
④京都大学の元教員・非常勤講師・ポスドク(任期付研究員等)…9名
⑤京都大学の元学生…22名
⑥京都市民+その他…19名
合計 95名

〇賛同者からのメッセージ(9月4日18時まで)

・確約は担当理事が法人におけるその権限のもとに結んだものであることが明らかだ。

・学生さんがひどい目に遭っている。自由の学風に憧れ、学問の大志を抱いて「最高学府」にやって来たであろう学生さんが、あろうことか、当の「最高学府」から訴えられて、ひどい目に遭っている。こんなことを見過ごしていて良いのか?

・頑張って下さい。

・吉田寮そのものに全面的な賛成ではない。しかし京都大学のあり方として、昨今の強権的な大学の態度には感心しない。これはかつて在籍したものとして、大学への希望である。

・「自由の学風」と「自由な学風」とは違うんだという戯言はもううんざりです。

・私の身の周りには、「吉田寮が現在裁判をしている」という情報から、立ち退きを求める大学に対して寮生側が裁判を起こしたという誤解を持っている人が少なくありません。学生である私も最初はそう思っていました。正しい情報を広く発信することは難しいと思いつつも、こうした誤解は、「まさか大学側が(特に罪を犯していない)学生に対して訴訟を起こすことなどなかろう」というごく一般的な認識からきていると思います。大学は、皆が平等に勉学や研究に励める場であるべきです。寮とは関係のない学生であっても、授業、予習、課題、課外活動、バイトなどと日々忙しいものです。経済的な要因ゆえに寮生活をする学生の時間と労力を必要以上に奪い、何より当局からの圧力という精神的疲労を与えるというのはどう考えても大学側がしてはいけないことでしょう。建設的な対話が再開することを望みます。
 まずは、吉田寮訴訟の正しい情報を周囲と共有していきます。

・対話を避け、学生主体の自治を奪い、「言われる通り大人しく言うこと聞いとけ」と言わんばかりの大学側の姿勢がやり方が、今の日本のあちこちで起きてる事と地続きなように思えます。
 地元民でも出身学生でもありませんが、納得のいかない気持ちで注視しています。

・吉田寮側の対応がパーフェクトだったかと言うとそうではないかもしれませんが、京大当局が話し合いを拒否している姿勢は理解できません。国立大学ともあろう組織が、建設的な議論すらできないのでしょうか。

・対話という人間社会においてもっとも基本的であり、貴重なものを教育機関が率先して放棄していることに強い憤りを感じています。まず訴訟を取り下げ、学生たちにきちんと謝罪するところからはじめるべきでしょう。(女性史研究者・小説家・元厨房使用者 山家悠平)

・I write this message in English to demonstrate that the case of Yoshida Dormitory in Kyoto University is widely covered and a rather famous case of student autonomy and culture as part of the National University framework in Japan. Closing the dormitory by using circular means of excuses will not be viewed kindly from prospective students, including international students and faculty. This is a symbolic case, as well as a practical one, and I encourage Kyoto University to carry out this case with dignity.

・京大吉田寮は京都大学の自由闊達な学風の象徴であると共に、長らく実際の揺籃として機能してきた。京大生のみがこの場所で暮らし、語り合い、遊んだのではなく、京都に住む多くの文化人や表現者がここに集い、幾多の化学変化を起こし、京都という文化都市が存続・発展する一助となってきた。
 自由であるが故に京都大学の完全な制御下に置かれることはなかったが、それを許す度量こそが京都大学という日本の誇るトップクラスの大学に求められるものであることは論ずるまでもない。
 世間では人種や国籍、性的志向などにおいて多様性を認めずヘイトスピーチを浴びせかけるレイシズムが大きな問題となっている。多様性を希求する世界の市民が最大の問題とするのはレイシズムだが、多様性を阻むものは単に差別のみではない。
 自らの意に沿わぬものや社会の異分子を憎み、排除を求める心情は誰に対しても向けられ売るが、それこそが何よりも唾棄すべき精神性であることは火を見るよりも明らかである。
 京都大学は即刻吉田寮訴訟を取り下げよ。自由で多様な世界を構築するアカデミアとしての矜持を原点に立ち返って再確認し、自治を認め共生の道を歩め。
 それこそが百年後の京都大学を、そして京都を素晴らしきものとする唯一無二の道である。

・学問の自由を守るために、不抜の共同戦線を構築しましょう!

・対話できる大学であってほしいと心から願います。

・日本最古の木造学生寮をなくしてほしくありません。話し合いと合意をすすめて最善の保存状態で活用されることをのぞみます。

・京都大学がこの問題の解決に民事裁判という手段に訴えたこと自体問題ですが、その裁判における京都大学側の対応もとても誠実とは言い難いもので、教育機関としての見識が疑われます。学生や教員から信頼を得られる執行部となるよう、京都大学現執行部には再考を求めたいと思います。(文学研究科 伊勢田)

・吉田寮自治会との対話に消極的な現状を追認する一方で、「 対話を根幹とした自学自習」を誇張してアピールしている現状のちぐはぐさを、外部の人や教職員、学生の皆さんに想っていただきたいです。

・経済状況が不安定ななか、研究に集中できたのは吉田寮があったおかげでした。私と同じような状況にある学生のためにも、今後も吉田寮が続いてほしいと思います。

・無理せず楽せず頑張って下さい

・1980年代に吉田寮で生活していた元寮生です。密室で決定される吉田寮をめぐる京大当局の姿勢について、学内と学外の両方から注目して声を挙げることが非常に重要だと思います。京大当局はすぐに訴訟をとりさげ、吉田寮の補修を含む未来像について、寮生と話し合いを再開してほしいです。元寮生としてできることにも取り組んでいきたいと思います。

・学生を守るのが大学ではないのですか。敵対して、しかも訴訟をおこすすとは何ごとですか。

・元寮生です。寮がなければ大学に通うことは不可能でした。いつまでも吉田寮があってほしいです。

・大学は、学生が学業に専念できるような環境整備にこそ努めるべきです。対話による解決を強く望みます。