対話による吉田寮問題の解決を求める要請書

「対話による吉田寮問題の解決を求める要請書」呼びかけ人のメッセージ、多様な立場からの応援メッセージ、関連情報などを掲載するブログです。

「対話による吉田寮問題の解決を求める要請書」は京都大学教員としての立場で記したものですので、主に教員(助教、講師、准教授、教授)を対象として呼びかけています。ですが、学生として、事務職員として、市民として、こうした動きを支援したいという方はどなたでも賛同できます(7月11日変更)。ご賛同いただける方は、 こちらのGoogleフォームよりご賛同ください。メッセージをお寄せいただいた場合には、このブログにて順次紹介させていただきます。

教員の賛同者の方は、お知り合いの呼びかけ人、あるいは事務局(seeking.dialogue at gmail.com)までご連絡いただくことも可能です (atは@に変換してください)。賛同者のお名前は、お名前を出すことについて了解をえた教員の方のみ記させていただきます。

対話による吉田寮問題の解決を求める要請書

2019年7月1日

総長 山極壽一 殿 

対話による吉田寮問題の解決を求める要請書

 

 今年4月26日、京都大学執行部は吉田寮現棟(旧食堂棟を含む)からの立ち退きを求めて、20名の学生を提訴しました。大学当局がそこで学ぶ学生を提訴し、授業期間中であるにもかかわらず学生を法廷の場に引きずり出すという、極めて異常な事態が生じています。わたしたち教員の教育活動に直接かかわる案件であるにもかかわらず、教授会はおろか、部局長会議の審議すら経ずにこうした決定がなされたことに対して、強い戸惑いと憤りを禁じえません。直ちに訴訟を取り下げ、対話による解決をはかることを求めます。

 2月20日、吉田寮自治会は2条件(旧食堂棟の利用と清掃・点検のための現棟立ち入り)が認められるならば全寮生が新棟に移転すると表明しました。「寮生の安全確保」が最優先の課題である以上、まず寮生の新棟への居住移転を認めて「安全確保」を図った上で、寮の管理・運営上の問題について話し合うべきではないでしょうか。5年前に大規模補修工事を終えたばかりの旧食堂棟の利用を禁ずべき理由もありません。

 このように事態がこじれてしまった背景には、これまで寮自治会と歴代学生部長・副学長との団体交渉で交わされてきた「確約書」について、川添副学長が「半ば強制された」ものであるからその内容に拘束されないという見解を示してきたことがあります。過去に吉田寮の運営をめぐって、寮生と大学当局が激しく対立した時期があることも事実ですが、これまでの合意を全て反故にすることは、学寮の自主性と学生との信頼関係を重視する立場から「確約書」に署名してきた元学生部長・副学長たちの努力や、大学当局と寮自治会の関係調整に腐心してきた職員の方々の労苦をも全否定することになりかねません。

 「対話」とは、他者の立場に想像力を及ぼし、自らのこれまでの対応を省みながら、論理を尽くして合意をつくりだそうとする努力のはずです。「すでに決まったことだ、意見は聞き置く、とにかく従え」という態度は、たとえ対面的な場面で言葉を交わしたとしても「対話」ではありません。今回の提訴は学問と教育の場にふさわしい対話の慣行を破壊するばかりでなく、京都大学の社会的信用を損ない、長きにわたる京都大学の歴史に汚点を残すものです。自治を含む学寮のありかた、そして歴史的建造物としての吉田寮の保全と再生については、少数の役員層だけで決めるのではなく、居住する学生自身、教職員、さらに建築の専門家なども含めて議論していくべきです。

 わたしたち教員有志は、山極総長に対して下記の事項を要請します。

 

一、吉田寮現棟明け渡し訴訟を直ちに取り下げること。

二、現寮生の新棟への居住移転と旧食堂棟の利用を認めること。

三、管理・運営上の問題については、居住移転により「寮生の安全確保」を図った後に、寮自治会との対話により解決すること。

 

呼びかけ人・賛同者(京都大学教員のみ、部局別50音順、下線は呼びかけ人、7月13日22時現在)

アジア・アフリカ地域研究研究科…伊藤正子木村大治重田眞義西真如、ほか2名の賛同者

教育学研究科…駒込武、ほか3名の賛同者

経済学研究科…西牟田祐二、ほか1名の賛同者

国際高等教育院…1名の賛同者

数理解析研究所…玉川安騎男

人文科学研究所…石井美保小関隆立木康介ティル・クナウト福家崇洋藤原辰史森本淳生

、ほか2名の賛同者

地球環境学堂…浅利美鈴岡田直紀、ほか1名の賛同者

東南アジア地域研究研究所…安藤和雄水野広祐

文学研究科…芦名定道伊勢田哲治川島隆高嶋航横地優子、ほか7名の賛同者

人間・環境学研究科…安部浩岩谷彩子岡真理岡田温司風間計博梶丸岳酒井敏阪上雅昭佐野泰之田邊玲子中嶋節子中筋朋那須耕介細見和之、松本卓也、ほか6名の賛同者

農学研究科…足立芳宏大澤直哉、ほか1名の賛同者

法学研究科…高山佳奈子

理学研究科…塩田隆比呂清水以知子、ほか1名の賛同者

霊長類研究所…宮地重弘

   

寮生提訴にいたる主要な出来事(2015年~2019年)

年月日 事項
2015年
2月12日
杉万俊夫学生担当理事副学長が吉田寮自治会との団体交渉において「確約書」を交わし、吉田寮現棟の老朽化対策について「大学当局は吉田寮の運営について一方的な決定を行わず、吉田寮自治会と話し合い、合意の上決定する。」「入退寮者の決定については、吉田寮現棟・吉田寮新棟ともに現行の方式を維持する」ことなどを約束する。

2017年

12月19日

京都大学が「吉田寮生の安全確保についての基本方針」を公表、吉田寮現棟老朽化の下で「可能な限り早急に学生の安全確保を実現する」ことが緊急の課題であるとして、新規入寮の停止と全寮生の退舎を求める。

2018年

8月28日

川添信介厚生補導担当副学長が「「吉田寮生の安全確保についての基本方針」の実施状況について」を公表、吉田寮自治会と大学当局との間におこなわれてきた団体交渉について「衆をたのんだ有形無形の圧力の下」に行われたものであり、歴代の学生部長・副学長による「確約書」への署名は「半ば強制された」ものであるから、「確約書」の内容に「本学が拘束されることはない」という見解を示す。

2019年

2月12日

京都大学が「吉田寮の今後のあり方について」を公表、現棟(旧食堂棟を含む)の立入禁止を宣言するとともに、6条件(「寮生又は寮生の団体として入寮募集を行わないこと」「現棟に立ち入らないこと」等)を認めた場合にのみ新棟への入居を認めるという見解を示す。
2月20日 吉田寮自治会が「表明ならびに要求」を公表、2条件(旧食堂棟の利用と清掃・点検のための現棟立ち入り)が認められるならば全寮生が新棟に移転するという見解を示す。
3月13日 川添信介厚生補導担当副学長が「吉田寮自治会の「表明ならびに要求」について」を公表、吉田寮自治会が提示した2条件を拒否、新棟への居住移転については大学執行部が提示した6条件を認めることが前提という見解を示す。
4月26日 京都大学「吉田寮現棟に係る明渡請求訴訟の提起について」を公表、20名の学生を被告として京都地方裁判所に提訴。
5月27日 川添信介厚生補導担当副学長が「吉田寮現棟の明渡請求訴訟について」を公表、提訴の理由として、度重なる退去通告に従わなかったことなど現在の吉田寮自治会は「責任ある自治」の担い手とみなしえないという見解を表明。

公開シンポジウム「教員の立場で考える吉田寮問題」

 下記のように、公開シンポジウム「教員の立場で考える吉田寮問題」を開きます。たくさんの方のご来場をお待ちしています!


日時:12月19日(木)18:30~20:30
場所:総合研究2号館3階北側法科第二教室

https://goo.gl/maps/pxU9j6op4HLe8BrE9

発言(あいうえお順):

伊勢田哲治(文学研究科)
木村大治(アフリカ地域研究資料センター)
酒井敏(人間・環境学研究科)
高山佳奈子(法学研究科) 

司会:駒込武(教育学研究科)
※入場無料・事前予約不要

  12月26日、吉田寮生の立ち退きを求める裁判の第3回口頭弁論が京都地裁にておこなわれる予定です。ここでは大学が学生を訴え、裁判という形で大学運営上の問題の解決をはかるという異常な事態が進行しています。このようなやり方は教育・研究の場としての大学にふさわしいのでしょうか。
 この裁判では、吉田寮自治会と歴代学生部長・副学長との団体交渉で交わされてきた「確約書」の有効性が重要な争点のひとつとなっています。これを無効とする現執行部の見解は、大学当局と寮自治会の関係調整に腐心してきた学生部委員・学生生活委員会委員や職員の方々の労苦をも否定することにもなりかねません。裁判で争われているのは単に寮舎の老朽化の問題であるばかりでなく、寮自治の問題であり、さらには、一般の学生や教職員が大学の意思決定にどのようにかかわることできるのかという、学内民主主義の問題です。
 「対話による吉田寮問題の解決を求める要請書」呼びかけ人となった教員有志が発起人となって、シンポジウム「教員の立場で考える吉田寮問題」を開催することになりました。「教員の立場で」というのは、それを入り口として考えるという意味であり、教員の方はもちろん、学生・院生の参加も歓迎します。職員の方や市民の方とも一緒に議論をしたいと思います。たくさんの方のご来場をお待ちしています! 

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賛同者からのメッセージ(7月12日から7月15日まで)

〇井上明彦(京都大学の元学生・元院生)

もと吉田寮生です。京大が学生を提訴するという暴力の即時撤回を求めます。川添信介副学長の個人的嗜好による行動を京大教職員がなぜ制止しないのか理解できません。

〇高向正和(京都市民)

対話による吉田寮問題の解決を求めます。

〇匿名希望(京都大学の学生・院生)

私は去年入学したばかりですが、それでもやはり大学側の強権的な態度には疑問を抱いてしまいます。

〇中塚智彦(京都市民)

吉田寮の存続をこころより応援しています。

〇黒岩康博(京都大学の名誉教授・元教員・非常勤講師・ポスドク)

元学生・院生・教員かつ市民です。このような態度の人間が、学生や子供に何を教えられるのか、甚だ疑問です。対話を望みます。こんな京大ちっともオモロないよ。

〇匿名希望(東京都民)

本当の学問その越境が、あの空間では可能だと思います。日本最後の学問が生きる場所、外から見れば遺産です。

〇匿名希望(美術家)

昨年の夏に吉田寮を訪れ、中を案内していただきました。伝統も感じるけれど、今もとても魅力的な場所。自立と自由の精神はここで育まれるんだと感じました。私の学生時代にこんな場があったら。たくさんの有望な学生さんの巣となる吉田寮。がんばってください。

広瀬一隆「京都大吉田寮問題とはなにか――大学自治の行方」『シノドス』

新聞記者の広瀬一隆さんが吉田寮問題について長文の文章を『シノドス』に寄せています。とりわけ印象的なのは、吉田寮生たちは「炭鉱のカナリア」ではないか、と書いている部分です。「黙って社会的要請に応えろ」という成果主義の圧力で窒息しそうな社会において、カナリアの声が泣き止むことは社会全体を巻き込む異常事態の発生を物語ります。また、尾池和夫元総長が自らを「過去の人」と位置づけながらも、「歴代の教員が学生と積み重ねてきた確約を「半ば強制的に結ばされたこともあった」として反故にされるのを見ると、「勝手に何を言ってるんや。歴史を書き換えるのか」と疑問には思いますね」と語っていることも見過ごせません。

こうした厳しい声が山極総長を中心とした執行部に届いてほしいと思います。

synodos.jp

尾池和夫さんのメッセージ(『京都新聞』2019年7月10日付記事)

『京都新聞』2019年7月10日付に尾池元総長のインタビューが掲載されました。「京都新聞記事は、私の精一杯の応援メッセージですので、ご活用ください」というご連絡を事務局までいただきましたので、ここに「応援メッセージ」としてリンクを貼らせていただきました。ぜひご一読ください。

www.kyoto-np.co.jp

匿名希望さんのメッセージ

京都大学の学生・院生で「匿名希望」の方からのメッセージを紹介させていただきます。とりわけ学生・院生の方にとってはメッセージを寄せるのは勇気のいることと思いますが、こうした鋭いメッセージが積み重なっていけば、大学執行部も無視できなくなると思います。教員としてだけでなく、吉田寮生として、学生・院生として、職員として、市民として、様々な立場からのメッセージをお待ちしています。

 


 

私は中学生の頃から、京都大学に憧れていました。当時は不登校の中学生でしたが、思春期の敏感な感受性や一種のノスタルジーも相まって、立て看が立ち並ぶ京大の「自由の学風」の雰囲気に、「ここには本当に学問をしたい人が集まり、そしてその自由が保障されている」ということを心底感じたのでした。「真理」を追求する、それが学問であり、学問的に誠実であることこそが、研究者にとって何よりも重要なことであると思います。 様々な学徒・研究者たちが集い、互いに触発し合う歴史を持つ京都大学で、最近の「上意下達」のトップダウン式の当局のあり方は、あまりにお粗末です。これなら、他の地方国立大学と何の違いもない、ただの京都にある国立大学です。私が憧れた、学問の自由を追求することのできる「京都大学」ではありません。今の京大はおかしい。上からの締め付けが強く、学生を自治の能力のない大衆と見なし、激しく愚弄しているように思います。一方で「京大生」とおだて、「京大はおもろい」などと喧伝しながら、他方でこのように当局が学生たちを締め付ける状況は、あまりに醜いです。また、吉田寮の問題に関しては言語道断です。大学側が、学生を告訴する、そのようなことがあって良いのでしょうか?なぜ、対話で解決することができないのでしょうか?当局は学生に対して誠実な姿勢を見せることが必要です。しかし、もう学生たちは当局に落胆しています。そして、そのうち飼いならされた羊となってゆく。それこそが、当局の狙いなのでしょう。 しかし、「知性」とは、間違ったことには抵抗することができる人に備わったものです。間違ったことには、正々堂々とNOを突きつける。研究者として、知的に、学問的に、人間的に、誠実であろうとするならば、昨今の京大当局の一方的な決めつけには疑義を挟まざるを得ません。 一流の研究者が集うこの最高学府でおきている体たらくに、悲しみを覚えています。でも、私たちは負けません。私たちは、権力に屈することなく、訴えていきます。

 

松本卓也さんのメッセージ(7月4日寮自治会主催集会でのスピーチ)

最近の京大当局の一連の動きをみていると、ある特徴に気が付きます。

それは、吉田寮の問題なら「耐震強度の問題」、タテカン規制なら「景観条例」、全学共通科目の「改革」については「単位の実質化」という題目を唱えれば、すべて自分たちの思い通りに行く、と思っているところです。

もちろん、「耐震強度の問題」も「景観条例」も「単位の実質化」も、それはそれで重要なことではあるでしょう。当局の高圧的なやり方にまだ違和感を抱いていない学生や教員は、おそらくは「耐震強度の問題はたしかに問題だ」「景観条例があるのだから、法には従わなければならない」と考えて、納得しているのでしょう。そこにあるのは、「法は法である」のだから従わなければならないのだ、というロジックです。

しかし、当局は、そのような題目を唱えながら、実は別のことをやろうとしています。たとえば、吉田寮の問題なら「学生自治の破壊」であり、タテカンなら「物言う学生の処分」です。もちろん、そのことを当局はおおっぴらにはしません。「法は法である」という同語反復(トートロジー)によって作られた命題には、実は「余白」があり、その「余白」にこそ彼らの本音が見え隠れしているのです。

不当な権力の行使があるところには、この「法は法だ」というロジックが必ず観察されます。たとえば、昨年、トランプ政権下のアメリカでは、「不法移民」とされる家族の親と子どもを強制的に引き離すという前代未聞の政策が実行されましたが、その際にアメリカの報道官はまさにこの「law is law」というレトリックをつかっていたのです。言うまでもありませんが、いくら「法は法である」としても、トランプ政権の排外主義や外国人嫌悪の事実は消えません。国際社会からアメリカに向けられた非難はそのことを示しています。むしろ、「法は法だ」と自らの正当性を高らかに宣言することによって、アメリカは自分たちの本音を「余白」のなかにはっきりと滲ませているのです。

もっとも、このようなことは、私が指摘するまでもなく、いまでは多くの学生や教員が気づきつつあることです。現に、吉田寮やタテカンの問題に関してはあまり関心を示さず、「法は法である」からしょうがない、と思っていた学生たちも、最近のNF(11月祭)に対する当局の介入にはさすがに敏感に反応しているように思います。川添学生担当理事・副学長が、NFの準備などに関して例年の教室の利用状況が悪いこと等を理由として、NFの準備時間を短縮すべきであり、準備のための泊まり込みも認めないと言ってきていますが、そのような介入にたいして「どこかおかしい」と思っている学生が多いようなのです。どこがおかしいのかと言うと、「教室の利用状況が悪い」ことは確かであるとしても、その状況を改善する方法が十分にあり、さらには学生たちも対話を求めているにもかかわらず、まったく聞く耳をもたず、「対話」を拒絶しているところでしょう。まるで、「すでに決まったことは、すでに決まったことである」のだから、「もうそれ以上話し合う余地はない」と言っているかのようです。

NFに対する介入も、もちろん「法は法である」というロジック、つまり「教室の利用状況が悪いという事実は事実である」というロジックによって正当化されています。そこにはやはり学生に対する管理を強化しようとする意図が、「余白」のなかに透けて見えているのです。

思うに、当局は、タテカン規制まででやめておけばよかったのではないでしょうか。吉田寮とタテカンを規制しているだけなら、多くの学生は「法は法である」の「余白」に気づかないでいたかもしれません。しかし、NFに対する介入によって、もはや誰の目にも、当局の手口は明らかになってしまいました。

ここに集まっている、吉田寮を応援する人たちの戦いはここからが本番です。賛同する学生や教員はどんどん増えてくるはずです。連帯の輪を広げ、「法は法である」という空疎なロジックに、粘り強く抵抗していきましょう。

高嶋航さんのメッセージ(7月4日寮自治会主催集会でのスピーチ)

私自身は種々の運動にそれほど熱心に取り組む人間ではありません。いまでもそれは変わっていないと思います。ともかく研究教育ができればそれでいいという考えなのです。

ここでは、そんな私がなぜ呼びかけ人に加わり、ここで話をしているのかということをお話ししたいと思います。

吉田寮問題、とりわけ老朽化対策に関する大学との交渉については、これまでたびたび耳にしましたが、私自身がそれと関わろうとは考えませんでした。

ところが、2017年12月に大学当局が安全確保を口実に寮生の退去を求め、昨年夏に川添副学長との交渉が決裂したことを耳にすると、さすがの私も風向きが変わったことを感じずにはいられませんでした。ちょうどそのころ、私は職員組合の文学部支部長をしていました。私が職員組合に入ったのは、正直にいうと、勧誘を断り切れなかったからでしたが、いつの間にか二度目の支部長を仰せつかったのがそのときだったのです。

職員組合文学部支部では『けやき』という機関誌を発行しています。私は『けやき』に支部長就任の挨拶としてこんなことを書きました。私が最初に支部長を仰せつかった2014年はちょうど山極総長が選ばれたときで、職員組合としても大きな期待を抱いていたのに、いまや状況はまったく変わってしまった。大学の自治自由が奪われ、ますます管理が強化されていることに対して、なんとか声を上げなければならない、と。

文学部支部では毎年アンケートを実施して、組合員の要望を集め、文学研究科長と事務長と交渉しています。文学部の建物に関することから、職員の雇用に関することまで、いろいろな案件について文学部当局に善処を求めるべく働きかけているのですが、近年は文学部というレベルでは対処できないことが増えてきており、支部のレベルで交渉しても、らちがあかないことが少なくありません。これはさまざまなことに関する決定権が徐々に学部から大学本部へ(さらにいうと文科省へ)と吸い上げられているからです。大学の自治、大学の自由を実践するのは現場(学部)であるにもかかわらず、学部のレベルでそれを守ることが難しくなりつつあると感じていました。

そこに、吉田寮生が私の記事をもって研究室にやってきて、吉田寮問題への協力を求めたのです。私としてもそのような記事を書いた以上、協力を断るわけにもいかず、呼びかけ人となり、この場でこんな話をすることになったというわけです。

ただ、大学の管理強化とそれに対する職員組合の役割という点では、別の面からも気になっていました。ちょうど一年前におこった日大アメフト事件です。私自身はスポーツの歴史を研究しており、いま研究の対象としているのが日本で初めてアメフトをしたとされる人物であることもあり、たいへん興味をもってこの問題の推移を見ていました。その過程で、日大当局の信じがたいような実情が次々と明るみにだされました。問題の核心は、トップが絶大な権限をもち、上のいうことに逆らえない雰囲気ができてしまっていることにあると感じました。そして、トップが絶大な権限を持てたのは、それをチェックする機能がないからです。

いま、政府が進めようとしている大学改革は、まさにこのような大学を作ろうとするものです。トップがよければ大学はよくなるでしょうし、改革もすみやかに実施できるでしょう。しかし、もしトップに人を得ることができなければ、その暴走を止める手立ては有りません(日大のように外部の力を借りねば成りません)。悪い方向への改革も、教職員や学生の反対を気にすることもなく、すみやかに実施されるでしょう。これは非常に危険なことです。

そのなかで日大の教職員組合が反対の声をあげたことは、一服の清涼剤となる出来事で、思わず快哉を叫びたくなりました。日大の厖大な組織と比較して、教職員組合はきわめて弱小な組織のようですが、それでもなお執行部に異を唱えることができたのです。私は改めて職員組合の役割の重要性を痛感しました。

わが文学部支部が戦っている対象と、今回吉田寮生が戦っている対象は、同じものです。その意味で、私は寮生の活動を、たとえわずかではあっても、支援する必要があると感じました。

これは京大の精神の根幹に関わる問題です。大学当局はそれを自ら踏みにじろうとしているのです。とりわけ提訴という形でその判断の是非を大学外の組織に委ねるというのでは、学生に自治自由を教える資格がないことをみずから宣言しているようなものではないでしょうか。

このようなことを話してきたのは、じつはあることを言いたいためです。私のようにきわめて消極的な人間でさえ、昨今の大学をとりまく状況はおかしいと強く感じています。吉田寮問題はその一端であり、けっして大学当局と寮生だけに関わる問題ではありません。

とするなら、私のように寮生を支持する教職員は少なからずいるのではないかと想像します。ただそのような気持ちや意見を掘り起こしたり、伝えたりする手段がないだけなのです。学内のこうした微かな声、聞こえざる声を集めれば、たとえ個々の力がわずかではあっても、大きな力になりうるのではないかと思っています。