対話による吉田寮問題の解決を求める教員有志の会

「対話による吉田寮問題の解決を求める教員有志」による呼びかけ、関連情報などを掲載するブログです。

匿名希望さんのメッセージ

京都大学の学生・院生で「匿名希望」の方からのメッセージを紹介させていただきます。とりわけ学生・院生の方にとってはメッセージを寄せるのは勇気のいることと思いますが、こうした鋭いメッセージが積み重なっていけば、大学執行部も無視できなくなると思います。教員としてだけでなく、吉田寮生として、学生・院生として、職員として、市民として、様々な立場からのメッセージをお待ちしています。

 


 

私は中学生の頃から、京都大学に憧れていました。当時は不登校の中学生でしたが、思春期の敏感な感受性や一種のノスタルジーも相まって、立て看が立ち並ぶ京大の「自由の学風」の雰囲気に、「ここには本当に学問をしたい人が集まり、そしてその自由が保障されている」ということを心底感じたのでした。「真理」を追求する、それが学問であり、学問的に誠実であることこそが、研究者にとって何よりも重要なことであると思います。 様々な学徒・研究者たちが集い、互いに触発し合う歴史を持つ京都大学で、最近の「上意下達」のトップダウン式の当局のあり方は、あまりにお粗末です。これなら、他の地方国立大学と何の違いもない、ただの京都にある国立大学です。私が憧れた、学問の自由を追求することのできる「京都大学」ではありません。今の京大はおかしい。上からの締め付けが強く、学生を自治の能力のない大衆と見なし、激しく愚弄しているように思います。一方で「京大生」とおだて、「京大はおもろい」などと喧伝しながら、他方でこのように当局が学生たちを締め付ける状況は、あまりに醜いです。また、吉田寮の問題に関しては言語道断です。大学側が、学生を告訴する、そのようなことがあって良いのでしょうか?なぜ、対話で解決することができないのでしょうか?当局は学生に対して誠実な姿勢を見せることが必要です。しかし、もう学生たちは当局に落胆しています。そして、そのうち飼いならされた羊となってゆく。それこそが、当局の狙いなのでしょう。 しかし、「知性」とは、間違ったことには抵抗することができる人に備わったものです。間違ったことには、正々堂々とNOを突きつける。研究者として、知的に、学問的に、人間的に、誠実であろうとするならば、昨今の京大当局の一方的な決めつけには疑義を挟まざるを得ません。 一流の研究者が集うこの最高学府でおきている体たらくに、悲しみを覚えています。でも、私たちは負けません。私たちは、権力に屈することなく、訴えていきます。